大手メーカー開発陣から名機と評された UF-2
(1980年代中頃)
「日本のカメラは優秀だが高価でもあり、先進国の人々の為のものだ、これら対象地域の人々の総数は地球上僅か13%に過ぎない。ということは日本がカメラ大国と言っても地球上80数%の人々の為のカメラは誰も作っていない。それではそれらの人々のためのカメラを我々は作ろう」弊社のコンパクトカメラ生産は、社長(現会長)後藤正の上記のような思いから始まりました。当時、成熟産業とみなされていたコンパクトカメラ業界にあえて進出 したのです。
弊社会長の上記のコンセプトは「心に書きとめておきたい名経営者の至言」(日経BP社)の中で、松下幸之助、本田宗一郎など錚々たる経営者の名言と並んで取り上げられる名誉に浴しています。
コンパクトカメラの製品開発に際しては、「通常の鑑賞に充分な美しい写真が撮れること」「安価なこと」「壊れないこと」これら三点を徹底して追求した新製品開発を続け、固定レンズでありながら遠景も近景も合焦するよう考案された「ユニバーサルフォーカス」(特許取得)の独自開発に成功 。また、当時の中級機以上にのみ採用されていたモータードライブ方式を採用し、廉価機を使用するユーザーが感じていたコンプレックスを解消 しました。
本製品ははじめ自社ブランド製品として販売していましたが、日本の大手カメラメーカー開発陣から「名機」との評価 を受け、OEM供給の依頼を受けました。その大手メーカーが自社ブランド製品を他社へOEM供給依頼するのは初めてのことであり、また本製品はその大手メーカーのベストセラーとなったことから、業界において、弊社の名声は瞬く間に広がりました。
その後、弊社の高い技術力と、低価格での製造を可能とした徹底的な合理性が高く評価され、日本の有名カメラメーカーのほぼ全てからOEM供給の要請 を受けました。その結果、月間生産台数45万台、年間420万台という、コンパクトカメラとしては当時世界一の生産台数記録 (NIKKEI
BUSINESS 1991年8月5日・12日号)を実現しました。
さらにこの間、発展途上国8か国への生産展開 も並行して行いました。中国に生産拠点を移す企業が増えた現在では想像もできないことですが、文化大革命からまだ間もない時期の中国に完成品としてのカメラ生産技術を最初に移転したのは弊社です。これらのカメラ生産による八か国への経済開発援助が高く評価され、1992年、日刊工業新聞社主催の優秀経営者顕彰制度により、社長(現会長)後藤正へ「優秀経営者 国際貢献者賞」が授与 されました。
マクロマックス FR-2200・FR350
(1990年代後半)
10センチ接写から無限遠までの撮影を一台で可能 とした世界初 のコンパクトカメラ「マクロマックス」シリーズを開発・製造。当時、特殊なクローズアップレンズを用いても最短撮影距離は50~60センチ程度が限界と言われていたマクロ撮影の概念を覆しました。約千分の一相当のシャッター効果により、だれでも簡単に10センチ接写が可能となり、また高速で動いているものでも簡単に瞬間停止撮影が可能となった、まさに画期的なコンパクトカメラでした。
風に揺れる花や、釣ったばかりの魚を写したいという愛好家の方から、接写による証拠写真をフィルムカメラで残す必要のある警察関係の方々まで幅広いご支持をいただき、弊社の誇るべきベストセラーの一つとなりました。
「FR-2200」は一般財団法人 日本カメラ財団(JCII)によって1997年の「日本の歴史的カメラ 」に選定されております。
マクロマックス Z3000・Z3200
(1990年代後半)
三倍ズームレンズのスペックを持ちながら、さらに上記「マクロマックス」機能(世界初の10センチ接写から無限遠までの撮影が一台で可能。瞬間停止撮影が簡単に可能)を併せ持つコンパクトカメラを開発。
従来の一眼レフ、コンパクトカメラいずれでもなしえなかった、付属品一切不要の10センチ接写から、三倍ズームまでをすべて内蔵した、世界初、世界唯一のカメラです。
『通販生活』(カタログハウス 発行)でも「コンパクトカメラのピカイチ」として大好評を博しました。
「Z3000」は一般財団法人 日本カメラ財団(JCII)によって、2000年の「日本の歴史的カメラ」 に選定されております。